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博多曲物

柴田 玉樹さん 曲物師 十八代目 柴田 玉樹さん

本名:柴田 真理子。
柴田家の十八代目曲物師として活躍。工房で曲物を制作するかたわら、福岡の伝統文化を伝える「博多町家ふるさと館」の実演コーナーにて、毎週月曜日、曲物の制作の様子を一般の方々に向けて伝える。夫と2男児の4人暮らしの46歳。標準語が博多弁という、根っからの博多っ子。

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●神前に供える祭具が起源

 博多曲物の起源というのは神功皇后が征韓の際に馬出で皇子をお産みになり、その※胞衣を蔵める容器を作ったことがその始まりとも言われます。馬に出ると書いて「馬出(まいだし)」と呼ばれるこの町には、昔から曲物屋が多く軒を連ねていました。元禄時代の大学者、貝原益軒の著「筑前国続風土記」の記述から、当時の様子を知る事が出来ます。「博多馬出町筥崎八幡宮の西にあり。此所を博多馬出と号せしは、むかし、八幡の神輿博多夷社迄下向し玉ふ時此所により供奉の人の乗れる馬を出ける故に名とせり。播絵物師福岡博多に多し。ことに那珂郡馬出の町には、家々に捲を作る。皆羅漢松材を用ゆ」一昔、筥崎八幡宮の神人であった馬出の人々は、神社奉仕の家筋を誇りとして、神前に供える祭具の中で木器の曲物を各々の家内工芸として伝えてきたのです。しかし、戦前から戦後にかけて20数軒ほどあった曲物屋も今では2軒を残すのみ。プラスチックや電化製品の普及で生活様式は変わり、昭和の30年代頃から、曲物の需要は減り始めました。売れ筋だった飯びつが電気炊飯ジャーの普及で売れなくなってしまったことが大きな要因だったようです。


●先人の知恵が生み出した生活用品

 曲物という器づくり自体は、名称の違いこそあれ全国各地にあります。基本的にその土地の木を使ってつくられていましたから、博多でも昔は若杉山の杉を使っていたそうです。きれいな柾目の部分だけを使う曲物づくりには、200年から300年という銘木の杉、しかも丁寧に枝打ちをして大切に育てあげられた節のないものでなければ使うことができません。しかし、京都などの曲物とは違い、博多の曲物は、どちらかというと庶民の日用品として発展してきました。「塗りを施さない博多の曲物は通気性がよく、炎天下畑仕事に持って行っても中のお弁当が痛みにくいと言われています。杉自体にも殺菌の働きがあり、お弁当箱としては本当に機能的に優れています。おひつも、ごはんの水分を適度に吸収して、中のお米がベチョッとならずに美味しくいただけると、今でもずっと愛用してくださっている方がいます。」と真理子さん。「しかもこの柾目や香りには、心を癒すはたらきがあるそうです。だから和の物って心が和むのかもしれませんね」。化学的なことは分からなくても、昔の人は生活の知恵としてそれを知っていたのでしょう。


●関ヶ原の時代から続く伝統

 昔から、馬出の曲物屋と言えばそのほとんどが柴田姓。その柴田の中でも本家として400年以上の歴史を持つのが、「博多曲物 玉樹」。家系図を見ると初代の没年数が1600年、関ヶ原の戦いの年というから驚きです。柴田家は代々長男が家業を継ぎ、伊衛門、吉衛門の名を順番に名乗ることになっていました。ところが戦争で十七代目の長男であった伊衛門が亡くなり、二男であった父玉樹が後を継ぐことになったのです。「職人気質で頑固一徹に仕事をしてきた父は、その腕を世にも認められましたが、晩年友人の保証人になり、保証人倒れで多額の負債を背負うことに。会社は倒産、家も仕事場も失うことになりました。そして規模を縮小し、曲物づくりだけは続けようとしていた矢先、心労がたたったのかガンで倒れてしまいました」気がついたときにはすでに遅く、倒産から2年後、亡くなられてしまったのです



現在のように「博多曲物」として名前が定着したのは、昭和56年に父である玉樹が市の無形文化財の認定を受けてからのこと。それまでは『筥崎の曲物』とか『馬出の曲物』などと呼ばれていました。そして父が表千家の全国大会の記念品として蓋置きや菓子器を出したことにより、お茶道具として博多曲物は全国的に認められ、民芸品から工芸品として扱われるようになりました。 (写真は十七代目 柴田玉樹)

●苦難を乗り越えて

 18歳で母を亡くした真理子さんは、家事、そして父親の会社の切り盛りから、仕事の手伝いまでこなし家を守ってきました。そして父親が亡くなったとき、代々続く柴田家の曲物を守りたいと後を継ぐことを決意するのです。しかし、その時彼女は結婚をし、長男を産んだばかり。「しかも倒産で社会的な信用をなくしていますから、ゼロよりもマイナスからのスタートでした。ましてや女であるということで材料を仕入れることすら難しい状況。この世界はまだまだ男社会ですから、親戚の者ですら最初は『女に務まるものか』という目で見ていたくらいです」と当時を振り返る真理子さん。それならと父親の法要に自分のつくった器を出し、そこではじめて厳しい目を持つ親族一同にも後を継ぐことを認めてもらったと言います。「小さな頃から曲物づくりを見て、絵付けや桜皮で縫う仕事を手伝いながら育ってきました。自分が何もできないならこれで終わりでも仕方ないと思ったでしょうが、『しきるとに(できるのに)』という思いがありました。やはり曲物あっての柴田家。その伝統を絶やしたくはなかったのです」その技術と伝統を見事に受け継いだ柴田さんの作品は日本民芸公募展に入賞し、その作品は「日本の民芸」という専門誌の表紙を飾りました。そして現在京都の漆絵作家と共同制作した作品を発表し、年に1度京都のギャラリーで展示会も開催しています。


●使い込むほど味のでる曲物の魅力

 後を継いで十年、女だからという周囲の目も変わり、これからがやっとスタートと真理子さんは言います。そして昨年より柴田真理子ではなく、父の名『柴田玉樹』の名を受け継ぐことにしました。「戦後に日本の価値観が変わってしまったように柴田家もまた変わったのですから、これからは伊衛門、吉衛門ではなく玉樹の名を受け継いでいきたいと思います」と真理子さん。

 「継いでくれるかは別にして、後に続く息子たちのためにもきちんとした仕事をし、十八代目玉樹として後世に残る作品をつくりだしたいと思います。でも、生活に根付いた器づくりという部分は、昔と何ら変わることはありません。おひつやお弁当箱は、ゆうに10年は持ちます。それくらいきっちりしたもんばつくっているつもりです。そして使い込まれたおひつやお弁当箱は、年月が経つうちに木肌に独特の光沢が出て、手になじんでくるのです。私の曾祖父が戦前につくった寿司桶はまだ現役で活躍しています。そうやって何代にもわたって大切に使ってもらえる製品をつくることは喜びでもあります。」



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リポーターかずりんの取材こぼれ話 ■お問い合わせ
「博多曲物 玉樹」 
お問合せ/092-935-5056
住所/福岡県糟屋郡志免町別府767-2

■ホームページ
http://www.magemono.com
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